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2021年10月25日(月)
直江津の思い出

上野邦治(直江津出身)

 
「ふるさと上越ネットワークたより」をいつも楽しく拝読させていただいています。
 10月10日号の1面のグラビアを見てびっくり懐かしく思い出しました。
 それと言うのも、直江津小路と題された写真のこの写真の右側の石塀のあるところが林覚寺で私の父の実家です。私はそこから、 小・中学校へ通った思い出の坂道です。
 街の旧名は、直江津町本砂山、直江津市沖見町でした。今は上越市中央4丁目。
 本砂山といい沖見町といい住所表示が良いですね。名前の通りこの一帯は坂の多い町でした。
 この写真の坂道の登り突き当たりは、共通の井戸場があり、いつもポンプで組み上げた水で野菜や米を洗ったり洗濯をする主婦で賑わっていました。井戸端会議という言葉を聞くと、いつも思い出す光景です。
 その井戸場を右に曲がると、300メートルほどで日本海の浜辺です。当時は、砂浜が渚まで50メートルもありいい海水浴場でした。家から赤褌で海に行ったものです。浜茶屋が夏になるとたくさん立ち並びました。今は渚まで10メートルもありません。茶屋は五智下へ行ってしまいました。
 また、井戸場を起点に左に曲がると車道が二段になっています。道の中央に段差があり、500メートルほど2本の車道になっているのです。それほどの傾斜なんです。道を挟んで通称上町、下町と呼ばれてました(たぶん今も)。なかなか全国的にも珍しい風景です。上町には町立図書館がありました。「怪人二十面相」なんか借りてよんだのを覚えています。
 さて、この坂道を下ると、直江津の銀座通りと呼ばれていた中島通に突き当たります。
当時はこの通りに銀座(東宝)劇場、日活劇場がありました。直江津にはこの他南小学校の近くに東映劇場がありましたが今は3軒ともなくなりました。裕次郎、旭、ひばりなど全盛時代、二、三本立ての時代でした。流行歌はほとんど映画音楽でした。「嵐を呼ぶ男」とか「ギターを抱いた渡鳥」とか。懐かしいですね。
 ネットワークたよりの1枚の写真で、いろいろなこと思い出しました。写真を寄せてくださった松本栄規さんありがとうございました。(2020.12月たよりより)