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2021年7月30日(金)
チャレンジ上越(フルサトで始めたフルサットの話・その2)

―産みの苦しみと「フルサット」に込めた願い
 北信越地域資源研究所 代表取締役 平原 匡(ただし)
 
(2016年春コンテナ搬入の様子)

 1989年公開のアメリカ映画「フィールド・オブ・ドリームス」を覚えていますか?
 主人公は、ある日突然、『”If you build it, he will come.”「それを造れば、彼が来る」』という声を聞いて、コーン畑を野球場にして様々な人がやってくるのを願う。
 私は子供の頃に父親とこの映画を見たのですが、まさにあれでした。何故か、あの声が私の頭の中にあったのです。
 劇中の土地は主人公所有で、今回のような定期借地とは違いますが、空っぽの土地を見ながらワクワクする感じはまさに映画と同じでした。
 この町の新しい場所に自分たちで街を作る。本当にその一心で、毎日取り組みました。メディアにも早くから取り上げられ、「話題」とはなりました。
 全国的な媒体からも注目され、コンテナが1つ運ばれてきただけで、新聞記事になる、そういう状況でした。既存の街や建物をリノベーションするプロジェクトではなく、更地からのカタチ作りでした。
 しかし、実際はどういう話題かというと新幹線の開業に合わせて開発が進まないという話が前に出てしまい、我々のやろうとすることが伝わらない。というより、そもそも大丈夫なのか?ということばかりだったと思います。
 どのようなものを作るか?当初イメージしたのは、日本各地にある「屋台村」のようなもの。人と人、情報が行き交う「横丁」空間。「コンテナ商店街」という名がすでにあったように、商業空間のデザインとしてはまったく新しい発想ではありませんでしたので、我々はそこからもう一歩先へ行きたいと考えました。コンテナの一時性、仮設性と従来からの建築が持つ永遠性の間。デザイン性、象徴性。エリア自体が未完成であり、将来的に付加できる余地。紙でいう「余白」をフルサットに持たせること。
駅周辺の開発の様子、資金次第では将来的に順次用途変更、拡張が可能など。硬質のコンテナを使った緩やかに可変する新しい地方都市の開発プロジェクトを狙いました。
 新しい街区(エリア)を作る。そこにヒト・モノ・コトが集まり、横丁が生まれる。
 しかし、現実は、入居者探しで難航。肝心の資金調達が出来るまでの間が長かった。
 新幹線開業に間に合わなかったその夏にコンテナ1つをベースキャンプだと思い設置しましたが、その後もテナント探しに奔走する毎日でした。一度出店を決めてもらった事業者からお断りを頂いたり、まとまり始めたと思うと、修正を余儀なくされる。カタチが見えないものに対する不安。みんな「フルサット」に対して、どう理解して良いのか?という時間が続きました。
 新幹線は開業したが、駅周辺開発は進まず、準備中のフルサットのテナントが決まらない!ということがニュースになったりしました。
 あの時間は苦しかったですが、今から考えると当たり前のことで、何か厚い雲を抜けないと安定しない、そこまでたどり着けない。周囲に確信を持ってもらうことが出来ない状態でしたが、地域の様々な現実、障壁を知ること、スタートアップの困難を知ることが出来た貴重な経験となったことは確かです。
 フルサットという名にたどり着くまでに「上越妙高フルサット」など地名を入れるかどうか悩みました。フルサットが地域に根ざしながらも、あえて地名をつけないことの意味は、どの地域でも応用可能であると見通した期待からでした。必ず類似の事例が全国各地で起きるようになる。フルサットにそんな願いを込めました。
 そして、新幹線開業に遅れること1年3か月後にフルサットは5店舗でオープンしました。(つづく)