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2021年7月27日(火)
上越のDNA
庄山悦彦氏
元 日立製作所代表取締役社長・会長 元 経団連副会長
(後輩に語りかける庄山悦彦氏)
「人の世は支え合い」とは、我が国最大の総合電機メーカー日立製作所の代表を務めた故庄山悦彦氏が時々口にした言である。
日立グループ約1千社33万人を率いて、その活性化に努めた。経営信条は、「全員協力が活動の基本」。トップダウンではなく、現場力を重んずるボトムアップである。
庄山氏は1936年3 月、旧高田市南城町に生れ、高田高校、東京工業大学を卒業、1959年日立製作所入社。主として重電部門を歩むが、役員になってからは家電も担当。1999年同社代表取締役社長、2007年会長、2009年相談役、2016年名誉相談役。(令和2年6月5日(金)逝去。享年84歳)
この間、経団連副会長、政府の情報通信審議会会長や 総合科学技術会議議員、ものつくり大学会長、ファインセラミックセンター会長、機械振興協会会長、発明協会会長などを歴任、2007年に仏レジオン・ドヌール勲章、2015年には旭日大綬章を受章、令和2年6月5日の死没日を以て従三位に叙せられた。
その多忙な活動の中にあっても、若い社員に口説かれて、中学時代の演劇部経験を活かして、世界ふしぎ発見のCMに駆り出されるなど人気も高く、周囲から慕われた。
また、同窓同郷の活動には殊のほか関心が高く、母校同窓会の高田高校校友会東京支部長、東京工業大学蔵前工業会理事長を引き受け、その行事に皆勤出席、後輩たちを熱心に応援した。当Jネットの和久井前会長を偲ぶ会にも駈けつけられ、献杯の音頭をお取りいただいた。
普段の穏やかなお姿に派手さはないが、エネルギーは驚異的である。そのエネルギ-はどこから来たのだろうか。本人曰く、「たいしたことはないが、強いて言えば、高田の豪雪かな。それと母1人の家庭環境も・・・。母親には感謝しきれないほど感謝している」
豪雪で育ち、耐えること、我慢すること、粘り強く物事にあたることが自らの強みになったという。そして、彼を育てた母の偉大な愛と教え。早くに夫を亡くした母は、大手町幼稚園に勤めながら、女手ひとつで5人の子供を育てた。悦彦氏は4番目だが、良いこと、悪いこと、できることをあきらめないことを教わったという。そうした思いは、母を含む上越の人たちに昔から強かったのではないかと語った。
そうしたことを表すような、高田高校校歌の一節「小善とても勉むべし、小悪とても犯すなよ・・・」は、氏の好きな言葉だという。「私は、この歌詞に励まされてきた」と話してくれた太目の声と動じない目、人を包み込むような笑顔は今でも目に浮かんでくる。
我が国ものづくりの世界をリードする立場にあって、上越・高田人らしさを発揮し、貫いた一生であったように思えてならない。
(伊藤 利彦 記)