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2021年12月13日(月)
上越のDNA

 我が国ラクビーの礎を築いた一人が、北島忠治氏である。1901年、旧安塚村に生まれ、有恒学舎中を卒業、旧制明大専門部に進み、1926年に同大ラクビー部に入部。1929年同大卒業と同時に、96歳で亡くなるまで、67年間にわたって、明大ラクビー部監督を務める。「明治、前へ」と言い続け、まさにラクビーの和名である「闘球」を表すような重戦車チームを作り上げた。日本代表監督にも2回就任している。
 氏の指導は、ラクビーにとどまらず、社会で立派に生きていくための人格を磨くことに重きを置き、自らの生き方でその範を示した。復員学生のためにサツマイモ畑を作ったり、焼失したラクビー部寮の再建のため、自宅を売り、その資金を充てることもあった。指導は厳しくとも、幾多の人から、「忠さん」「御大」と慕われた所以である。(令和元年11月たより掲載記事より)